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オフィス敷地の今昔物語〜見つかったさらなるご縁〜(古地図の発見編)

当社が5月に引越しをしてきた東京都新宿区新宿6-27-30 新宿イーストサイドスクエアの敷地は、昔は何だったのかを調べてみました。

敷地の昔を調べることになった発端は、単純に私が「これだけ大きな敷地は、昔は何に使われていたのだろうか?」とふと考えたことからです。都内の場合、広大な敷地は、以前は工場やビルの跡地であることが多いので、単純に何だったんだろうかと考えたわけです。

正解を導くまでの道のりは、こんな感じでした。

第一ステップ:ネットでぐぐる
  • まずは、ネットで「新宿イーストサイドスクエア 跡地」でぐぐってみる。
    Wikipediaがヒットして、ここが「日本テレビゴルフガーデン」の跡地であることが分かりました。これだけの広大な敷地であることが、まずは頷けたわけです。
  • つづいて、考えたのはゴルフガーデンが完成したのが、1972年(昭和47年)4月と記載があったので、その前は何だろうか? と考えたわけです。「日本テレビゴルフガーデン」でぐぐると、この敷地は、松江藩の支藩の広瀬藩の下屋敷跡であることが分かりました。
    おおおー、まじかーということになりました。というのも、この調査をしているときには、先日Blogにも書いた松江ラボを開設することが決定しており、松江との縁を深く感じたわけです。
  • じゃあ、広瀬藩って、何? ということで、またぐぐるわけです。そうすると、出雲松江藩の初代藩主松平(越前)直政の次男であり、松江藩の領地の一部を分けてもらい、分家して、広瀬藩としてできたということが分かりました。

と一旦ここまで調べて、私の調査は終了していました。

第二ステップ:島根県の方に問い合わせる

ところが、松江ラボの開設が近づいてきたころ、

  • 発表用資料を作成している担当者が、「児玉さん、そういうやここの敷地が松江と関係があるって話をしていたと思うのですが、それを資料に入れたいので、裏を取れますか?」という依頼がありました。
    ただ、その段階では、上記のようにインターネットで拾ってきた情報ばかりだったので、「裏取り」するまでには至っておりませんでした。そこで、まずは、島根県の職員の方にお願いをして調べてもらうことにしました。
  • 広瀬藩は、現在の島根県安来市ということで、県庁の職員の方は、安来市教育委員会に依頼をしてもらったようです。(なぜ、教育委員会なのかは、また後で出てきます)

 

第三ステップ:古地図で調べる

とは言っても、自分で調べないわけにもいかなかったのですが、この質問をうけたのが、開所式の1週間前で、私はお休みを頂き、海外旅行に行っていました。そのため、自分なりに調べるには、インターネットでしか調べる方法がありませんでした。

  • そこで閃いたのは、「国立国会図書館」
    ここには、きっと古地図があるはずだと考えて、インターネットで調べると、「ビンゴ!」。ありました。その地図が、このblogのトップにある地図です。この地図は、
    〔江戸切絵図〕. 大久保絵図 著者:景山致恭,戸松昌訓,井山能知//編
    出版者:尾張屋清七 出版年月日:嘉永2-文久2(1849-1862)刊で、江戸後期の地図です。
    こちらで、現物を見ることができます。
  • ただ、この地図は、江戸時代のものなので、縮尺は適当で、東西南北も現在の地図のように北が上になっていません。この地図をオンラインで見ながら、現在のGoogle Mapとあわせてなんとか場所を探します。
  • 何をキーポイントにして、探したかというと、「神社仏閣」です。
    お寺や神社は、昔から位置が変わっていないと思ったため、古地図でキーとなる神社仏閣を探します。
    オフィスの近くに「西向天神」があることは知っていたので、まずは、それを探しました。また、近くに昔の徳川尾張藩の戸山屋敷があり、そこが戸山公園になっているのも知っていましたので、「尾張藩の屋敷」を探しました。
  • ビンゴ!!!! 双方ともにすぐに見つけることができました。
    当時の名前で出ています的に、下の地図で、赤い○の部分が、「西向天神」「戸山尾張殿」です。
    その近くを探してみると、青い○のところに、「松平佐渡守」の下屋敷があります。
  • そして、先に書いたリンク先を見ると、広瀬藩の9代目直諒(なおよし)以降が佐渡守であることが分かります。
    ビンゴ!!!!!

そして、東西南北の位置があっているかを確認しました。

  • 戸山尾張殿の公園の位置から南南西にあるのが、西向天神
  • 西向天神から南西にあるのが、松平佐渡守の下屋敷

現在の位置関係と距離感からも間違いないと思いました。そして、この情報をステップ2の問い合わせ先である島根県の方にお伝えしました。

第四ステップ:間違っている??

ところがこの情報を島根県の方を通じて、安来市の方に確認を頂いたところ、安来市の方からの回答は、
「違う」というものでした。広瀬藩の下屋敷は、現在の東京女子医大の近くだとの回答でした。

  • との返事を海外でもらい、再度、古地図を見てみると、確かに東京女子医大のあたりにも、松平佐渡守の下屋敷があります。(下の地図で青い○のところ)
  • しかしながら、現存する「西向天神」と「戸山公園」との東西南北が異なるのと、距離があまりにも離れているために、この下屋敷ではなく、私が示した位置の下屋敷跡がやはり正しいと考えて、再度、確認を依頼をしました。

 

(次回:検証編に続く)

現在の西向天神(Google Map

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