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日本列島改造論を読んで(「一日交通圏、一日経済圏」、「情報列島の再編成」)

夏休みに田中角榮元総理大臣が書かれた日本列島改造論を図書館で借りて読んでみました。昭和47年当時、そこに書かれている一日交通圏、一日経済圏」や「情報列島の再編成」について将来への予測を現在から見てみたいと思います。

きっかけ

最近テレビなどでも取り上げられている田中角榮氏が昭和47年(1972年)の首相就任直前に出版した「日本列島改造論」を図書館で借りて読みました。

この本のキーワードのひとつとして「明治100年のこれまでの日本の近代化と今後明治200年に向かった展望」という形の内容がよく出てきます。実は私は、明治100年生まれ(昭和43年=1968年)で、一般的に馴染みがない「明治100年」という単語は片隅あり、それがこの本を読むきっかけになりました。

角榮氏の総理就任期間は、昭和47年7月7日〜昭和49年12月9日で、この書籍が発売されたのは、昭和47年6月20日が初版になっています。本当に総理就任前に書かれて、出版されたことがわかります。この書籍は既に廃版であったので、千葉市図書館で借りて読んでみました。当時この書籍はベストセラーだったということを聞きます。図書館の貸し出しリスト(昔はシステムがなかったのでこういうカード形式でしたね)を見てみると昭和49年4月ぐらいまではコンスタントに貸し出しされていたようです。

 

 

時代設定

昨年末にBlogに書いた「Back To The Future」では、1985年から30年後の2015年を予測した映画の中でのものがどれぐらい実現できているかを見ていたのですが、この角榮氏の書籍でも将来を見据えた予測(というか実現すべきことかな)が色々でてきます。この書籍を書かれたのが昭和47年(1972年)に、遠い未来の明治200年(2068年)を見越して、近い将来の展望である昭和60年(1985年)をターゲットに書かれています。

 

一日交通圏の実現

この書籍には、「日本列島が将来、一日交通圏、一日経済圏として再編成される。」というものがあります。高速道路や新幹線については、他のメディアやブログに記載がありますので、詳細はそちらでご覧ください。ただ、最近公共案件で地方に部下の人が行くことが多いのですが、大体のところは日帰りできるようになっています。新幹線もそうですが、飛行機代も昭和とは異なり、かなり安くなってきて、新幹線でいけないところは飛行機で日帰りにができるようになっています。そういう意味で、この「一日交通圏」は間違いなく実現できていますね。ホント便利になりました。

情報列島の再編成
P158に、情報システム関連について記載が以下のようにあります。
大都市と地方の格差をなくすためには、全国各地域を結ぶ情報ネットワークを先行的に整備しなければならない。申しこめばどこでもすぐに電話がつき、全国即時通話ができるようにするのはもちろんである。有線テレビ、テレビ電話、さらに職場でも家庭でもボタンひとつでコンピュータを呼び出すことのできるデータ通信など、情報化時代にふさわし情報ネットワークをつくらなければならない。
(中略)
データ通信とともに、将来の情報化社会で大きな役割を果たすと予想されるのが有線テレビ、テレビ電話である。テレビ電話を本格的に普及させるためには、技術やコストの面でまだまだ工夫が必要である。しかし、遠くに離れた人々がテレビで電話で相手の顔をみながら話をすることができるようになるという魅力は大きい。大都市の本社、地方の支社、工場のあいだでもテレビ電話で会議をすることも可能になるだろう。
(中略)
たとえば、通産省で開発しようとしている映像情報システムでは、将来、1台のテレビ受信機で無線テレビも優先テレビも楽しみ、さらにテレビ受信機に組み込まれた鍵盤を操作すると、情報センターやデータバンクにつながって「日本の国土面積はどのくらいか」「IMF(国際通貨基金)とはどういう機関か」といった知識を求めることができる。
この記載は、当時まだ無かったインターネットという単語はありませんが、インターネットやスマートフォンの浸透により、全て実現できていますね。スマホで音声で検索すれば、「ボタン」もいらないし、「鍵盤(キーボード)」もなくても検索可能ですね。SkypeやGoogleハングアウトを使えば簡単にTV会議も可能になっています。
ただ、首都圏への人口集中ということは改善されていない
一日交通圏、一日経済圏」や「情報列島の再編成」の必要性は、
P162に以下のように書かれています。
明治百年(1968年)にいたる近代日本の道のりは、地方に生まれ、育った人たちが大都市に集中し、今日のわが国をつくる牽引車となったことを示している。しかし、明治二百年(2068年)に向かう日本の将来は、都市に生まれ、育ったひとたちが、新しいフロンティアを求めて地方に分散し、定着して、住みよい国土をつくるエネルギーになるかにかかっている。そのためには地方に産業を起こし、高い所得の機会を作るともに、文化水準が高く、経済的、社会的に十分な都市機能を持った地方都市を育成しなければならない。大都市との情報格差をなくし、地方都市に住む人々が豊かで、便利な暮らしができるように日常の生活環境をきめ細かく整備することである。
ようは、首都圏集中ではなく、地方を活性化させる必要がある。ということです。
この本の中には、当時のデータも色々出てきます。その中で、P33に、以下のように書かれています。
東京は国土総面積の0.6%のところに全人口の11%、約1141万人が住んでいる。

 現在はどうかというと、、平成26年(2014年)1月の調査では、東京都の人口総数13,294,039人で、全国は1億2708万3000人なので、東京都の人口比率は、10.4%%なので、書籍当時と余り変わっていません。また首都圏(一都三県(神奈川、埼玉、千葉))としては、内閣府の資料(http://www5.cao.go.jp/j-j/cr/cr11/chr11040101.html)に以下の記載があります。

全国に占める首都圏人口の割合は、第4-1-2表に示されるように、50年には15.5%、60年に18.9%であったが、70年には23.0%にまで跳ね上がった。その後上昇のスピードは徐々に鈍化したものの、80年には24.5%、90年には25.7%、2000年には26.3%、2010年には27.8%にまで上昇している。
これに伴い、首都圏人口密度も大きく上昇しており、首都圏1都3県では50年に978人/km2であった人口密度が、70年には1,799人/km2、90年には2,347人/km2と上昇し、2010年には2,665人/km2となっており、50年の2.7倍の人口密度となっている(第4-1-3図)。また、都市圏と地方圏を比較すると、50年には東京都が3,091人/km2、大阪府で2,126人/km2であるのに対し、地方圏の北海道で55人/km2、岩手県で88人/km2であったが、2010年には東京都が6,258人/km2、大阪府が4,670人/km2とそれぞれ倍以上になる一方、北海道は66人/km2、岩手県87人/km2とほとんど変化していない。50年には、最大の東京都の人口密度は最小の北海道の人口密度の56.2倍だったが、2010年には94.8倍にまで差が拡大した。

ということで、東京都の割合は変わらないのですが、首都圏の人口は、どんどん増えています。

インターネット通販なども広がり、便利さや情報格差という意味では地方との差は小さくなったと思いますが、角榮氏が書いたような、

このような新しい情報ネットワークとシステムは産業や人口の地方分散を容易にする。必要な情報が十分に手に入るようになれば、工場の分散はもちろん企画、調査、管理部門、研究所なども一緒に地方分散が可能になる。そうなると地方大学を出た青年たちが地元で働く職場もふえる。 

 とまでは、まだ至っていないのが実情だと思います。

当社でも松江ラボを設立して地方でも活躍できる場所を作ろうとしていますが、まだまだ角榮氏が目指していたものは道半ばなのかもしれません。私も三重県の地方出身なわけですが、MLやSBTの公共ビジネスを通じて、地方活性化の一翼を担えればと思います。
PS:松江ラボのエンジニア募集をしています。首都圏から松江にIターンしたい方も大歓迎です!。
(次回は、角榮氏が書いた農地制度についてです)

 

 

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