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Derek H. Williams氏を偲んで

本日、故Derek H. Williams氏のお別れ会に参加してきました。あまり知られていませんが、Derekは、当社の黎明期時代の恩人です。Derekへの感謝と追悼の意味を込めてあまり語られることの無いDerekとミラクルの関係を書ける範囲で書いてみたいと思います。

この写真は、今から14年前の2002年に私が日本オラクルの社長室に在籍していたときに、ある会社の設立パーティに参加した時に撮ってもらったものです。中央がDerek氏で、左が当時日本オラクルの社長だった新宅さんです。さきほどのお別れ会では、新宅さんがお帰りの際にホテルの廊下でバッタリお会いしました。Derekが会わせてくれたのかもしれません。不思議なものです。

Asianuxのきっかけ

Derekは、2001年8月に日本オラクルの取締役に就任されますが、それ以前もAPAC and Japanを統括するExecutive Vice Presidentでしたので、社長室にいた私はお会いする機会がよくありました。

ミラクル・リナックス社は、2000年6月に日本オラクルが58%を出資し、残りをNECをはじめいくつかの会社の方に出資していただき設立されています。親会社が日本オラクルでしたので、三ヶ月に一度は、ミラクル・リナックス社の報告をDerekにしていました。

私は、2003年6月からミラクル・リナックス社にJoinするのですが、その年の夏頃の定例報告会の中で、ディストリビューションの今後を話をした時に、Derekから、
「中国にRed Flagという会社があり、ミラクルと同じようにRH系のディストリビューションの開発をしているので、そこと協業を考えてみてはどうか。私の方からRed Flag社を紹介する。」
という話が出ました。丁度このタイミングで北京でLinux Worldが開催されることもあり、それにあわせて2003年8月頃に私が初めて、中国北京に行くことになります。
(Linux World BeijingでのUnbrekable Linuxのブース。写真を見ると2003年8月21日に北京に行ったようですね。)

Asianuxのきっかけは、まさにこのDerekの一言だったわけです。

 

Oracle China Development Center

当時Oracleは、北京に開発拠点(China Development Center)を作っており、既にRed Flagとは協業の関係にあったことから、こういう提案が出てきたわけです。そして、8月に北京に行き、10月には、RedFlag社との共同開発をする話ががまとまってました。
(調印式後の写真。この中には、Oracle China Development Centerの二人も写ってます)


そして、2003年10月28日にこのChina Development Centerは、開設されます。(当時の記事は、こちら)ですので、Red Flag社との調印の2週間後に正式開設だったわけです。

Asianuxの開発は、日本から2名のエンジニア(今は、ふたりともミラクルの偉いさんです)を北京に派遣し、2003年12月にスタートします。そして正式発表は、2004年1月にされました。
当時のニュースリリースは、こちら

このニュースリリースからも分かるようにOracle APAC(Derekの統括範囲)の支援も頂いて、開発はスタートします。スタートから数年間は、Asianuxの開発拠点は、このChina Development Centerにありました。

 そういう意味では、北京のChina Development Centerの開設やOracleとRed Flag社の関係などのタイミングが合わなければ、Asianuxは誕生していなかったかもしれないわけです。

 

Oracle資本から離れ、独立へ

その後Asianuxの共同開発は、1年後に韓国のHancom社などもを加わり、進んでいきます。ただ、Oracleが2006年10月にOracle Linuxをスタートしたことにより、Asianuxとの関係をどう位置づけるかが難しくなってきます。協業(Collaboration)も色々模索したりしたわけですが、Oracleは、Oracle Linuxを強く推し進めることになり、最終的には、ミラクル社との資本関係を維持するのが難しくなりました。その結果、日本オラクルとの資本関係を解消し、経営陣などでMBOすることになりました。

このあたりのことは、一部記事にもなっています。(ITmediaの記事は、こちら
こちらの記事に書かれているOracleの本社というのは、Derekのことで、Derekに説明をし、彼がミラクルが独立することを承諾してくれたのでした。彼が当時のミラクルの状況や私達のことを理解してくれていたことが大きかったと思います。もし、Derekが違う結論を出していたら、今のミラクルは無かったと思います。

 

We really appreciate  you and Good Bye, Derek. We never forget you.

日本オラクルとの資本関係が無くなってから、Derekとお会いする機会もなく、今回の訃報となり、本当に残念です。Derekがミラクルの将来や可能性を考え、サポートしてくれたことは言葉にならないほど感謝しています。本当に有難うございました。ミラクル・リナックスは、今も元気に活動し、成長しています。

いつも活気に満ち、ビジネスパーソンとしての厳しさと優しさを兼ね備えた素晴らしい方でした。 
心からご冥福をお祈り申し上げます。合掌。

 

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