熊本地震の災害ボランティア活動レポート:雨天時の室内作業
ミラクル・リナックスでは、被災者の支援と被災地の復興のためにできることは何か、有志による支援プロジェクトのチームを立ち上げて考えてきました。
今回、被害が大きかった地域のひとつ、益城町の現地でボランティア活動を行ってきました。震災から半年以上を過ぎてもいまだに被害が残っている状況など、現地で見聞きしたことをご紹介したいと思います。
私たちが参加したのは、「益城町災害ボランティアセンター」( http://www.mashiki-saigai.info/volunteer )で益城町社会福祉協議会が中心となって、全国の社会福祉協議会、地方自治体、共同募金会、NPOなどの支援を受けて運営されている団体です。ボランティア活動はこれまでの実施から開催曜日が減り、10月は金/土曜日のみとなっていました。実施日などはボランティアセンターのFacebookに公開されています。
10/28(金):活動1日目
朝8:30からボランティアの受付が開始されるため、活動前日に熊本市内に移動し、当日は市内のビジネスホテルから益城町の災害ボランティアセンターに向かいました。公共の交通機関では移動が難しいため、車が必須になります。私たちもレンタカーを借りて行動しました。
移動中、熊本市内も被災してブルーシートで屋根を養生している家屋などがありましたが、益城町は幹線道路沿いだけでもよりその数が多いように感じました。
1日目は朝から大粒の雨が止まず、当日のFacebookには雨で作業が限られるため受け入れ人数も20名に制限すると投稿されていました。受付開始より30分前に現地入りしたのですが、入り口には「本日のボランティア受付は定員に達しました」という看板がありました。とはいえ、諦めてまっすぐ帰る訳にもいかず、何か手伝えることがないかないか聞いたところ、センターの事務所片付けなど、何かしら作業を割り振ってくれるとなりました。
ボランティア受付はグラウンドに建てられたテントにパイプ椅子が20-30脚並べられているところで、すでに満席くらいの人々が説明を聞いていました。
現地で受付をされていた社会福祉協議会 災害ボランティアセンターのスタッフの方々に伺ったところ、ボランティアは金土の活動に日数が減ったものの、半年経った今もまだ復興は進んでいないそうでした。スタッフの方々は、金土のボランティアセンターでの受付以外は、平日は仮設住宅に訪問して、住人の方々の健康相談や悩みごとを一軒一軒聞いているとおっしゃっていました。仮設住宅は、益城町内だけでも2016年10月時点で18箇所もあるそうです。仮設住宅で避難されている方々は住み慣れた地域から離れて新しい近所づきあいになかなか苦労されているケースもあって、住人同士の交流を図るイベントを企画したり、何かと大変なサポートをしているのが伝わりました。
ボランティア活動の流れと作業例
実際のボランティア活動は以下の流れで進められました。
- 8:30より受付開始
(30分前の8:00の時点で2日ともすでに定員オーバーとなる状況) - 注意事項の説明と参加者申請書の記入、ボランティア保険に加入していない人は保険の申込み
- マッチング
(軽作業からハードな作業まであり、その日の募集の中で自分に合う作業に志願し先着で選ばれる) - 各グループに分かれて、その日のリーダーを決め、活動開始
10/28(金)は雨のため、室内活動のみに絞られていて、以下の募集がありました。
- 大きな本棚の移動
- 保育園の教材の整理
- 集積所での作業
実際の活動内容と現地で見聞きしたこと
金曜日の活動に参加していたメンバーは私たちと同じように、企業より派遣されてきている人たちがほとんどでした。私たちは保育園の教材整理の担当になり、他のボランティアの方々と合計13名でのグループで活動しました。同じグループのメンバーは、福岡県大牟田市の企業と長崎県久留米市の企業から4〜5名で参加されていて、グループに分かれて何度か支援活動に来ているとおっしゃっていました。前回来た8月くらいからあまり街の様子が変わっていないとおっしゃる方もいました。
現地の地図を受け取って、各自の車で移動します。ボランティアの参加には各自が自力で動ける車の手配が必要になります。現地へ向かう道中、全壊してしまった家屋がいくつもそのままになっていたり、復旧作業を行っている箇所もいくつもあったり、被害の大きさを感じました。
保育園の現場は、建物は無事だったものの、地震発生以来ほとんど手を付けていなかったようで、教材や荷物がそのまま残されていました。ようやく倉庫が設置されたので教材などを運搬する準備ができるようになり、先生の指示に従って、教材や家具などを必要なものと処分するものに分別する作業を行いました。一部、給食室の器具など重いものを除けば、女性でもできる活動内容でした。
4〜5つの部屋に分かれた教室には、お遊戯会や季節のイベントなどに向けて作られた飾りや遊具が大切にとってありました。揺れに耐えられなかったプールや家具などは破損したまま放置されていました。黒板には当時書かれた4月14日の日付がそのまま残されていました。
訪問した時は、小学校を間借りして仮設の保育園として運営しているそうで、限られた場所に持って行けるものを今後また選定して移動させるようでした。新しい保育園の立て替え目処は経っていないそうでした。
午前中で作業が終わり、先生たちにお話を伺いました。
夜に地震が起こったのが不幸中の幸いで、子供たちがいなくてよかったとおっしゃっていました。また、子供たちが今も地震前と変わらずに遊んだり寝たりしている姿を見て、先生たちは救われているとのことでした。先生たちが、とても明るく朗らかに迎えてくださったことに、私たちが逆に励まされる思いがしました。